キリスト教福音宣教会のMiKです(*゚▽゚)ノ
理系あるある…なのかは分かりませんが、私はこんな感じでした笑
前回「伝道された経緯②」で、御言葉を聞き始めたあたりの経緯を書きましたが、本格的に御言葉を聞くようになってから、お祈りの仕方を教えてもらい、毎日欠かさず(朝晩…だったっけ?)お祈りしていました。ノートかメモ帳に項目をいくつか書き出して、祈っていたと思います。
今考えたらめっちゃ形式的なお祈りだったと思いますが(→正しいお祈りの仕方はこちら:聖書学習まんが#08「お祈りしてみよう!」)、神様も何も分からず信じられてない状態で、教えてもらったとおりに実践したのは偉かったなと思います。
半信半疑…というか、半分以上疑ってましたが笑
でも自分の状況的に、にっちもさっちもいかなくなっていたので、「学ぶならちゃんと学んでみよう」と決心しており、御言葉で学んだことは(疑いながらも)実践していたと思います。
そうする中で起こった、お祈りの成就。
正直言って、
偶然じゃね???
って気持ちが強かったです。
その当時、研究室で細胞を扱った実験をしていたのですが、
実験で必ず必要になるのが、この【対照実験】というもの。
【対照実験(たいしょうじっけん)】
コトバンクより
ある条件の効果を調べるために、他の条件は全く同じにして、その条件のみを除いて行う実験。 除いたときと除かないときの結果を比較する。 医療や統計学では対照試験ともいう。 コントロール実験。
例えば、細胞に対するある薬剤の効果を調べたい場合、
同じ条件で培養していた細胞を2つに分け、片方には薬剤を加え、もう片方には何も加えないようにします。
(※正確には、何も加えないのではなく、その薬剤が溶けている溶媒を同じ量だけ加えます)
そして同じ条件で培養を続けた時に、薬剤を加えた方にだけ何か変化が現れたら、その薬剤の影響を見ていることになります。
もし薬剤を加えてない方(コントロール)でも、薬剤を加えたのと同じ現象が観察されたなら、それは薬剤の効果ではないことになります。
文章で説明するの難しいですね。
とにかく、片方にだけ「特別な処理」をして、その「特別な処理の効果だ」という裏付けを取るような実験です。
私はそれをお祈りにも当てはめてしまいました。
祈ったからこうなったとは限らないじゃん。
(どうやって裏付けできんの)
祈った場合と祈らなかった場合を比較しないと、お祈りの効果だとは言えないやんけ!と思ったわけですね。
とはいえ、パラレルワールドじゃないんだから、「現実を2つに割って片方だけ祈ってみる」なんてことはできないわけで。
今となっては、
神様が大きなことから小さなことまで生活の中でどれほど働きかけてくださってるのか分かるので、
お祈りが成就したら「神様、感謝します!!!」となります。
でも、当時は信仰の「し」の字も入ってない状況だったし、
「世の中の全てのことは偶然に起こっている」という考えで固まってたので、
なかなか素直に「神様だ!!」なんて思えなかったです。
御言葉を学んでみると、むしろ偶然なんてないくらいに神様が働いてくださってるのが分かるんですけどね。
だからお祈りが成就したら、疑うこともなく神様の働きだと感じます。
…よくここまで変わったな私。笑
研究者の気質としても、私はけっこう疑ってかかる部分があったなと思います。
研究って、様々に仮説を立てて実験結果からその正当性を検証していくわけですが、未知の世界を探っていくことなので、自分が考えている仮説に対しても「そうじゃない可能性」をいつも考えながら進んでいかないと、小さな見落としから全然違う結果を導き出してしまうこともあるんですよね。
論文で提唱されているモデルも、絶対に確かだと認められているもの以外は、鵜呑みにしちゃいけません。
あくまでモデルですからね。実験結果から話を組み立てていき、「それらしい」モデルを最終的に提唱するわけですが、別の見方をすればそうとも言えないし、別の実験をしたら全く逆の結果が出る…なんてこともあります。
目に見えないミクロな世界の出来事を、表に結果として現れてくることを通して予測していくわけなので、表に現れてくるまでに、細胞の中でどのような過程を経て何が起きているかなんて分かりません。
直接可視化して詳細に確かめない限り、「こうだ!」という確証は取れない世界かなと思います。
最近は科学技術がすごく発達してきているので、これまで見えなかったものもたくさん見えてきてますが、細胞の中の様々な仕組みが全て明らかになるのは、まだまだ先ではないかなと思います。
こんなに複雑なものを完璧に創造された神様は、本当にものすごいと感じるしかありません。
…と、脱線してしまいましたが、
私はこのようにきっちりしっかり確かめないと信じられない人だったので、「信仰」が入るのはけっこう大変でした。
というか20年以上も「無神論」の考えで生きてきたわけですし、その考えを本当にひっくり返していいものか、とても慎重になっていました。
しかし神様は、こんなに頭固い私をも覆されてしまいました。
「伝道された経緯④」(最終回)に続く。
2021年11月 MiK