キリスト教福音宣教会のMiKです!
前回の4コマ漫画「伝道された経緯①」に引き続き、私が御言葉を学んだ経緯を書いていきます。
聖書を紹介されて、アンズちゃんと一緒に読むことにしたものの、私はすぐに御言葉を学んでいくことはしませんでした。
目の前のことで忙しかったのもありますが、
当時の私は宗教が大キライだったので、「聖書」というもの自体に対する怪しさも強く、
「御言葉を学びたい!」なんて思えなかったんですよね。
それに、私は無神論者でした。
理系の学生でもありましたし、
「世の中の全てのことは(超自然的な現象も含め)科学的に説明ができる」と信じており、
霊とか神様とか、目に見えないものの存在を全く信じていませんでした。
また、それまで自分なりに努力して成功した人生を生きてきていたので、だいぶプライドが高かったです。
大阪大学に現役合格し、大学院入試もトップの成績で合格。
高成績ゆえに奨学金の返還を全額免除され、採択率10%くらい(全国で)の特別研究員にも面接免除で採択され、
大学院時代は海外の様々な学会に参加して、研究結果を発表していました。
「将来有望な学生」として、色々な先生方に褒められ、期待されていました。
周りから見たら、エリート人生だったんじゃないかと思います。
そのように生きてきたので、「自分の人生は自分で切り開いていく」と思っていたし、
「神様に頼る」なんてことは全く考えられませんでした。
当時、私は博士2年の学生だったので、大学院を出た後のことを具体的に考えないといけないタイミングでした。
漠然と「研究者になる」のだろうと思っていましたが、将来に対する不安もありました。
アンズちゃんは「将来のことも神様に相談したらいいよ!」と話してくれましたが、私はそんなアンズちゃんに向かって、
「私の道は私が決める(=神様なんていらん!!)」
と言い放ったのを覚えています。
ひどいな。
見放されてもおかしくなかったと思うのですが、アンズちゃんはそんな私のためにずっと祈ってくれていました。
そして聖書を紹介されてから7ヶ月後、
論文やら漫画やら(→「伝道された経緯①」参照)、目の前の忙しかったことが全て落ち着いた時、私の考えに変化が起こりました。
「もし神様が存在するなら、自分の進路について聞いてみたいかも…」
目の前のことで忙しかった時は、あまり将来のことについて深く考える余裕もなかったのですが、色々落ち着いて本気で現実と向き合わないといけなくなった時、「もし神様がいるなら…」と考えるようになったのです。
そして博士3年になった4月、御言葉を学び始めるようになりました。
それまでずっと私に御言葉を学んで欲しいと思っていたアンズちゃんにとっては、飛び上がるほど嬉しかったんじゃないかと思います。
そして、初めての御言葉の日、アンズちゃんはものすごく準備してきてくれました。
その日、アンズちゃんは、人間には霊が存在していて、霊を良く作ったら天国に行ける(→聖書学習まんが#06「人間について知ろう!①」&#07「人間について知ろう!②」参照)という話をしてくれました。
しかし私は、
「ま、天国行けるって考えて生きたら、少しは人生楽になるのかもね(私は信じないけど)」
という、めちゃめちゃ冷めた態度でその話を聞きました。
もし神様がいるなら…と思いはしたものの、やはり無神論の考えが強く、目に見えないものの話は私にとって全く現実味を帯びてなかったんですよね。
アンズちゃんは、あまりにも私に御言葉が入らないから、伝えた後はヘトヘトに疲れ、「もう無理!!」と一人で泣いていたそうです。(まじごめん)
私がもし誰かに御言葉を教えて、こんな態度で接されたら、もう教えるのを諦めるかも知れません。
しかし、アンズちゃんは諦めませんでした。
そのおかげで私は今ここにいます。
ほんと、諦めないでくれてありがとう。
はじめの御言葉は真面目に聞かなかったですが、そのすぐ後、私の心境にさらなる変化が起こるようになりました。
将来について深く考え、
「研究者の道を進んできてしまったけど、私が本当にやりたいのは漫画だ!」
と気づいたのです。(←遅)
※↑将来とか難しいことは後で考えよう…と先延ばしにしていた代償です。
研究者になる場合、博士号取得後は海外の研究室に出ていく人が多いので、私もその道かな〜と考えていました。
優等生タイプだったので、周りの期待に応えるためにエリート街道を直進しようとしていました。
でも、本当にやりたいことは、そっちじゃなかった。
そして、現実や自分の実力にものすごく限界を感じるようになりました。
そういう中で、
「御言葉で本当に人生が変化するなら、本気で学びたい」
と思うようになりました。
それから毎日御言葉を聞くようになりました。
「神様は存在しない」という考えから転換するのはなかなか難しかったですが、無事に転換できたので今こうして生きています。笑
その話はまたこれから書こうと思います。
それにしても、なぜここまで無神論の考えに固まってしまったのか。
よく覚えていないのですが、物心ついた時から神様のことは信じていなかったように思います。
目に見えないものを信じないということは、つまり【死後の世界】を否定することなので、私は昔から「死」に対する恐怖心がものすごくありました。
母に聞いたところ、小学生の時から「死ぬのが怖い」と言っていたみたいです。
今「自分」として存在している「意識」「自我」、そういうものが「死」によって一切なくなってしまうと考えると怖くてたまりませんでした。
なぜ「自分」は存在しているのか?
「生きている」意味は何なのか?
「死」で全てが消え去ると考えると、人生に全く意味が見出せず、本当に虚しさしかありませんでした。
そして、年を追うごとに確実に近づいてくる「死」から逃れる方法もありませんでした。
「漫画家」という夢によって、私は虚しい人生に「生きる意味」を持たせようとしていたと思います。
作品を残せば、「自分が生きた証」をこの世に残すことができるから。
死んだら消えてなくなると思っていたから、
もし「自分が生きていたこと」を知っている人までみんな死んでしまったら、
「自分」という存在は誰にも認知されず、元から存在しなかったことと同様になる。
「自分」自身もなくなり、誰も「自分」を認知しなくなる―――
それは「虚無」でしかなく、「真っ暗闇」で、本当に恐ろしいことでした。
じゃあ今生きている「自分」は一体何なのかと。
だから、何か形として残るものをこの世に残したかった。
「私という人」は、ちゃんと存在していたんだと。
御言葉を学ぶ前、私はこのように深い人生の悩みを抱えていました。
でも他の人にその悩みを話してみても、あまり理解してもらえませんでした。
みんな「今生きてるんだし、今を楽しく生きればいいじゃない?」と言いました。
本当にそうだろうか?
結局死ぬのに?
今楽しくても結局「無」で終わるなら何になるのか。
私にとって人生は「真っ暗」でした。
「死後の世界は存在しない。死んだら無で終わる」―――
そういう分厚い固定観念の壁によって、自分自身を暗闇に閉じ込めていました。
しかし、神様はその壁を壊し、私をそこから抜け出せるようにしてくださいました。
御言葉を学んだ今では、完全に考えが転換されて、人生の意味もはっきり分かって、虚しさなど全くなく、毎日甲斐に満ち溢れて生きています。
「世の中で漫画家になる」という夢を成したくて御言葉を聞き始めましたが、
御言葉によって、自分がずっと抱えていた根本的な人生の問題が解かれるようになりました。
そして、「漫画家になる」夢は御言葉を聞いていく中で捨てることになりました。笑
世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。
ヨハネの第一の手紙2:15
御言葉を学ぶ中で聖書のこの部分を読んで、
「漫画も捨てないといけないの!!?」
と、本当にショックを受けて号泣したのを覚えています。
そして結局、捨てる決断をしました。
それまで集めていた漫画を全て売り払い、描き溜めていた絵や漫画の構想を全て破り捨てました。(←極端)
漫画家を諦めて研究者の道に進み、海外の研究室には行きませんでしたが、国内の大学で博士研究員として働くことになりました。
(その後転職して、現在、製薬系企業の研究員として働いています。)
しかし、全て捨て去ってから数年後、神様の中で再び絵を描く機会を頂くようになりました。
この辺は長くなるので割愛。
(※再び絵を描くようになった経緯についてはこちらの記事の真ん中くらいに書いてます)
こうして今は、御言葉を聞く前とは別の次元で、自分の夢を成して、この世に作品を残せています。
天国まで考えるなら、永遠まで作品を残せていると言えます。
あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。 むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。
マタイによる福音書 6:19-20
わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。
コリント人への第二の手紙 5:1
漫画家になる夢は捨てることになりましたが、もし神様を知らずに漫画家になって成功できたとしても、根本的な人生の問題は解決できなかったでしょう。
地上で目に見える成功ができなかったとしても、永遠な天国に宝を蓄えていく人生が、本当に価値があると思います。
本当に、御言葉を学べて、神様に出会えて良かったと心から思えます。
聖三位の神様と、私を諦めず掴んでくれたアンズちゃん、そして陰で祈り続けてくれたコノミさんに、心から感謝します。
「伝道された経緯③」につづく。
2021年10月 MiK