2022年、祈りと御言葉の年

明けましておめでとうございます!
キリスト教福音宣教会のMiKです^^

今年初ブログを早く更新しなきゃ〜と思っていたのですが、
年始は実家の長崎に1年ぶりに帰省しており、更新が遅くなりました。

 

実家近くの山から撮影した長崎の風景

 

さて、キリスト教福音宣教会では、年ごとの「標語」があります。
これは、鄭明析牧師が祈って神様からいただいてくださる、その1年の大きな方向です。

去年は「霊肉新しく」というその標語どおり、霊的に肉的に様々なことが新しくなった年でした。

 

そして、今年は「祈りと御言葉の年」

「祈り」は、私たちが神様に話し、対話すること。
「御言葉」は、神様が私たちに語ってくださること。

つまり今年は、
神様が「今年も私と一緒に対話しよう。続けて御言葉を与える」とおっしゃってくださっている、最高の祝福の年だとおっしゃいました。

 

新年になって、溢れんばかりに御言葉が伝えられていますが、
中でも繰り返し伝えてくださっているのは、「あるところで捜しなさい」という御言葉です。

 

各自、みなさん捜しているものが違うと思います。
今年願うものがあるだろうし、捜しているものがあると思います。

「求めよ。見つけ、門をたたく者は与えられる。そうしたら、開かれる。くださる」と、約束してくださっても、求めてこそ捜してこそたたいてこそ得るようになるということです。

だから、
みなさんが捜して願っているものがあるならば、すでに神様がくださったものの中にある。

これが、今年の核心だ。

でも、あなたたちは本当に違うところで捜そうとしている。

これを悟りなさい。
あるところで、持っているものの中で見つけなさい。

鄭明析牧師 2022年1月9日 主日の御言葉「聖霊と主の御言葉を聞いて悟りなさい」

 

このように、
神様がすでに自分にくださったもの、自分の主管圏に、自分が願っているものがあるとおっしゃいました。

 

私は、去年末に悟ったことがあるので、
今年は「自分の個性の道」を見つけていきたいなと思っています。

これが、「私が願うもの」でもあります。

 

正直、自分のことも自分ではよく分からないと感じます。笑
自分について一番良く分かっていらっしゃるのは、自分を創造された全能者神様しかいないと思います。

今年は神様とたくさん対話して、実践しながら、自分自身についてもっと悟っていけたらいいなと思っています。

 

得られなかったときは、ほかの人のものばかり見て羨みます。

みんな悟ってこそ、ほかの人のものを羨まずに、自分のものに満足して生きることができます。
悟ることがこんなにも大きいです。

鄭明析牧師 2022年1月5日 水曜日の御言葉「祈りと御言葉」

 

私も、まだまだ他の人が羨ましいと感じる時があります。
それは、自分が願うことがあるけれど、自分にはそれを行なう能力がない、素質がない、才能がないと感じる時です。

 

神様は、「みんなに潜在能力を与えた」とおっしゃっていました。

この御言葉どおり、神様はすでに自分にくださっていると信じて、それを発掘していく1年にしていきたいなと思っています。

 

発掘するためにも、祈るばかりではなく、実践が大事。

 

なので今年もまた、祈りながら神様と共に作品を生み出していきます^^

やっぱり絵を描くこと、作品を作ることが、私の大きな個性でもあるので、やっていく中で色々と悟っていけるんじゃないかなと思っています。

 

今年もどうぞよろしくお願いします!(〃^∇^)ノ

 

2022年1月 MiK

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