年末に見つけた「葬るべきもの」

キリスト教福音宣教会のMiKです!
2021年も年末となり、11月末からは今年を締めくくるための御言葉が続けて伝えられています。

その中で、最近悟ったことがありました。

 

聖書にこのようにあります。

また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう

ヨハネによる福音書8章32節

 

「真理は自由を得させる」

その通り、神様の御言葉は私たちの認識を変え、(心・精神・考え・霊魂の)自由を与えてくださいます。

 

しかし、
御言葉を聞いて信仰生活を送ってくる中で、神様は別に縛っていないのに、自分の考えによって自分を縛っていることは、大いにあると感じます。

 

今回は、私が自分自身を縛り付けていた考えから一つ抜け出した、そういうお話です。

 

 

 

私は現在、漫画アニメ等の制作を中心にして活動しています。

正直、ここに至るまでにも、様々な葛藤やもがきがありました。

そもそも、信仰を持ち始めたときは、「絵を描く」こと自体、やっちゃだめなのかと思っていました。笑

 

御言葉を学ぶ前、漫画家を目指していましたが、
御言葉を聞いて「霊」の存在とその価値を知り、「霊」に投資することが何より大きいことだと悟り、漫画も夢も全て捨てるようになりました。

 

そして、伝道(御言葉を教え、人生の道を教えること)を熱心にやりました。

根本には、「神様が願うことをしたい」思いが強かったと思います。

 

直接人々に関わり、伝道し御言葉を伝えることが、神様が願うことであり、一番大きいことだと思いました。
だから絵に時間を投資するのは良くないことだと思いました。

 

私の周りに、絵を描くことを中心に活動しているメンバーもいなかったし、
実際、伝道を頑張った人たちが評価され、目立って見えていたのもあります。

 

そうやって伝道に投資する中、御言葉イラストを描く使命を頂くようになりました。

しかしその当時はもらった使命の価値が分からず、伝道も絵も両方やろうとしてもがきました。

 

2年ほど経って、あるとき、

「同じ時間を与えられたなら、私にしかできないことをする方が大きい」

と悟るようになり、それからは完全に制作に集中するようになりました。

 

 

絵を描くようになってからは、御言葉や神様、鄭明析先生を直接描く作品に携わるようになりました。

絵を描くことに関しても、「霊的なもの」を直接描くことが、大きいことに思えました。
また、それが「神様が願うこと」だと感じました。

 

もともと私は漫画家を目指していたし、漫画を描きたい思いはずっとあったと思います。
でもその思いは、こうやって「神様が願うこと」をやる中で、薄まっていくのだろうと思っていました。

 

「自分の本来やりたかったことを捨て、ひたすら神様の願うことを行なっていくこと」

 

そのように走る人が、美しく見えました。

 

そして私もそのようにすることが、

私の神様への「愛」だと思ったし、

私が神様の前でなりたい「理想の姿」になったし、

私はそうやって神様に近づいていくのだと思いました。

 

 

私は熱心にその道を走りました。

 

神様に近づいていっている感覚もありました。

 

 

でも…やっぱり漫画を描きたかった。

 

 

絵を描くことを通して、たくさんのメンバーとも知り合うようになり、
その中に漫画を描いている人たちもいました。

 

私も描きたいと思いました。

 

描こうとしてみたけれど、それは神様が私に願っていないことだと感じる出来事がありました。

だからその思いを心の奥底にしまい込もうとしました。

 

別に、漫画を描くことが悪いことだとは思いません。
もし、描いていいか悩んでいる人がいたら、「好きなことを自由にやったらいいじゃん」と言うと思います。

でも、「私には」神様は願っていらっしゃらないように感じました。

 

それでもやっぱり描きたくて祈っていたら、去年、ようやく描く機会が訪れました。

 

描いてみたら、とても楽しかったです。

漫画は、やはり私にとって大切なものでした。

 

しかし、描いたことで、悩みがもっと深くなりました。

 

これまで私は、ひたすら自分を捨てて神様の願うものを描いてきました。
それが、「神様が私に願われること」であり、私の神様への「愛」だと思ってきました。

 

だから、自分の好きな漫画を描くことが、神様の願われることなのか分かりませんでした。

神様を愛することなのか分かりませんでした。

神様が願うことをしたくて、神様が願われる作品がどんなものか学んできたからこそ、
自分が好きな漫画を描くことは、自分勝手のように思えました。

 

だからといって、
漫画を描く楽しさを、再び知ってしまったから、それを手放すことは、もうできそうにありませんでした。

でも、自分の心に正直に従って行くならば、それは「愛」ではないのではないか。

 

 

ものすごく葛藤しました。

ものすごく祈りました。

 

でも答えがなく、疲れ切って、全てが嫌になり、消え去りたいくらいの気持ちになりました。

 

なんでこんなに好きなんだろう。

いっそロボットみたいになれたら楽じゃないか。

神様の願うことだけやるロボット。

そしたらこんなに苦しんで悩むこともないじゃないか…

 

漫画がここまで好きなことが恨めしかったです。

 
 

私は、神様が願うことをしたかった。

神様が願うことを、ひたすら感謝で喜んで行なって生きたかった。

自分が目指す姿はそれだった。

 

でも…現実は違う。

 

私は、信仰が悪いのか?

価値を分かっていないのか?

神様を愛していないのか?

 

 

疲れ果てて作品に向き合うのが辛くなっていきました。

行えば行うほど、力が抜けていきました。

 

それは、自分が神様の愛に満たされてないからだというのは分かっていたけれど、

自分に対する神様の考えが分からないから、神様に繋がることができませんでした。

 

 

ずっと葛藤して祈っていましたが、12月半ば、ある指導者の方と話すことがありました。

それまでの葛藤や悩みについて打ち明けましたが、その方が話された言葉が、胸に響きました。

 

「漫画を好きな心も、神様があなたに植えてくださったものだと思うよ」

 

……

そうか、

これ、持っていていいものなんだ。

 

 

一気に心が軽くなった気がしました。

 

そして、私が捨てないといけないのは、漫画ではなく、

「ひたすら自分を捨てて神様の願うことをする」という、

自分がなりたいと思っていた「理想の愛の姿」だと悟るようになりました。

 

 

11月最後の主日の御言葉でこのようにありました。

葬ることは簡単なことではありません。捨てることは簡単なことではありません。
簡単なことではないけれども、やったら天国になるし、やったら死亡から生命圏に変わるのです。

古いものを捨てたら、捨てると同時に新しいものが来ます。

鄭明析牧師 2021年11月28日 主日の御言葉「各自古いものをきれいに葬りなさい」より

 

 

私がこうなりたいと願った「理想の姿」は、私の「個性の愛の道」ではないのでしょう。

その考えで今までずっと自分を縛り付け、個性の道を開けなくしていたかも知れません。

でも、ひたすら「理想」を目指して実践してきたからこそ、ようやく悟れたことでもあると思います。

 

12月最後の御言葉で、「忠誠者よ、よくやった」と、労ってくださった神様。

 

今年は私にとって、自分との戦いでひたすらもがいた年だったから、正直、忠誠を尽くしていたのかよく分かりません。

でも、神様を愛したくて、葛藤し、もがいていたと思うから、愛のもがきではあったのかなと思います。

 

今年の標語、「霊肉新しく」の通り、私は新しくなれたでしょうか。

 

葬るべきものは葬って、

来年は、この悟りの上に、

他人の道でもなく、理想の道でもなく、

自分だけの「個性の王」としての愛の道を、走っていきたいです。

 

2021年12月 MiK

 

※今までやってきたことは継続してやっていく予定なので心配しないでください。笑
(これまでと力の配分は変わるかも知れませんが)
 

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