うちの先祖が日本初キリシタン大名の重臣だった話

ハレルヤ!
キリスト教福音宣教会のMiKです。

 

先日、地元である長崎に帰省して、長崎甚左衛門(長崎純景)のお墓に行ってきました。

誰それ?って人も多いかと思うので解説すると、
長崎甚左衛門(1548?-1622)は戦国時代に長崎の地を治めた領主であり、日本初のキリシタン大名である大村純忠の重臣、そして彼自身も大村純忠と共に洗礼を受けたキリシタンでした。洗礼名はドン・ベルナルド。

 

 

 

こちらは長崎公園にある「長崎甚左衛門之像」。
ここにはキリシタンであることは書かれていないのですが、よく見ると像の胸元には十字架が見えます。

 

長崎甚左衛門は長崎開港の祖と言われ、長崎の発展に大きく貢献した人物です。
また、キリスト教の普及に熱心で、彼の館の近くにあった寺社をイエズス会の神父アルメイダに提供し、そこには長崎で最初の教会であるトードス・オス・サントス教会が建てられました。

甚左衛門は長崎の領地をイエズス会に寄進しましたが、その後、豊臣秀吉の時代に天領として没収されました。同年、仕えていた大村純忠は亡くなり、その長男である大村喜前が後を継ぎましたが、喜前は洗礼を受けていたにも関わらずバテレン追放令後に背教しました。喜前は時津の700石を甚左衛門に領地として与えようとしましたが、彼は背教した喜前からそれを受けることを潔しとせず、田中吉政(キリスト教に寛容で、一説にはキリシタンだったとも言われる)に仕えました。田中家の断絶後は再び大村氏に仕え、かつて治めた長崎の地に帰ることを許されぬまま時津で没したとされています。

 

今から約400年前、激動の時代を生きながら、信仰を守って生き抜いた人物なのだなと感じられます。
十字架を首にかけたその姿にとても感動を覚えます。

 

 

 

実はこの人物、、、私のご先祖様なのです。

 

 
幼少の頃、私は親類から「先祖は長崎甚左衛門なんだよ」と聞いて育ちました。そして、家に伝わる古いお墓には「長崎」の名前が刻まれています(※今は名字が変わっていて長崎ではありません)。

でも私は全然興味がなくて、長崎甚左衛門がどんな人物なのか全く知らず、知ろうともしませんでした。そして幼少期に聞いたその話のことは忘れて生きていました。

 

再びその名を思い出すようになったのは、信仰を持つようになって数年経ってからのこと。
あるとき霊的に苦しい状態が長く続いたのがきっかけで長崎甚左衛門のことを思い出し、彼について調べるようになりました。

なぜ思い出したかというと、「先祖の罪が自分にも影響を与える」という話を御言葉で聞いていたので、地元が長崎というのもあり、先祖が何かキリスト教徒の迫害とか、神様から見て罪になることに関わったんじゃないかと考えたのです。それで、先祖だと聞いていたその人物について調べるようになりました。

 

 

結果、めちゃくちゃ義人でした。

大変失礼しました…

 

 

昔話してくれた親類にもっと詳しく聞いてみたいところですが、その人は既に世を去っており、もう話を聞くことができないのが残念です。

 

時津には長崎甚左衛門とその妻である寅夫人(大村純忠の娘)が眠る長崎甚左衛門の墓があります(長崎県指定文化財)。
このお墓は子孫の大村内匠助長頼が1702年に建てたものだそうです。甚左衛門が亡くなってから80年後にお墓が建てられたんですね。

 

このお墓に行きたい感動がずっとあったのですが、車がないと行きにくい場所にあり、私は運転できないのでなかなか行く機会がありませんでした。

しかし今回、長崎の教会メンバーが車を出してくれて、ついに行けるようになりました!感謝します!!

 

長崎の教会で主日礼拝を捧げた後、メンバーの車に乗せていただき、ナビに行き先を入力していざ出発!

 

 

 

ナビに導かれた先で車を降りると、案内板が。
(後ろの「じんざえもん焼」が非常に気になりましたが…あいにくお休みでした。)

 

 

案内板に示された方向に歩いていくと、それらしいものが見えてきました!

 

 

 

ついに!!やっと来ることができました!!
ご先祖様のお墓!!!

 

しかしめちゃくちゃ逆光で綺麗に写せない!!!笑

 

 

お墓は仏教式でしたが、小さなマリア像が置いてありました。
供えてあるお花も新しく、綺麗に整えてありました。

 

ずっと行きたかった場所にようやく来ることができて本当に感慨深かったです。
神様に感謝し、そして先祖である長崎甚左衛門にも感謝しました。

なぜかというと、私が今こうして神様に出会って生きているのは、絶対に先祖であるこの方の義があったからだと感じるからです。

 

神様は<経緯がある人>を選んで、この歴史に呼んできます。
自分と直接的な経緯がないとしても、先祖や親の経緯が子供にまで達したので、神様がこの歴史に呼んでくることもあります。

鄭明析牧師 2015年8月16日 主日の御言葉

 

神様がその人を選んだときは、その人の当世だけを見て選んだのではなく、その前の先祖たちの生を見て、その子孫の中から一人二人、その家柄からお選びになったのです。

鄭明析牧師 2023年5月31日 主日の御言葉

 

神様は、選ぶ時に、以前、先祖たちがよくやったことを見て、その子孫の中から選ばれる。

鄭明析牧師 2017年2月23日 明け方の御言葉

 

鄭明析牧師の御言葉でもこのように伝えられています。

 

以前は無神論者で目に見えるものしか信じないガチ理系の頭固い人間だった私が、今こうして神様を信じて生きているのは本当に奇跡だとしか思えません。(※私がどうやって信仰を持つようになったか気になる方はこちらへ)

その人自身に義があって神様が呼ばれることもあるようですが、信仰を持つ前の私が神様から見て義なる生き方をしていたとは思えないので(笑)、絶対に先祖の義のおかげだと思います。

 

お墓で神様に感謝の賛美を捧げ(近くに人がいたし開けた場所だったのでちょっと恥ずかしかったですが ←)、感謝のお祈りをして、その場を後にしました。

 

その時、目の前の空を真っ白な鳩が飛んでいきました!

 

 

小さすぎてあまり見えないですが…笑(写真中央右寄りにいます!)

 

鳩は目の前を2〜3周くるくると旋回して遠くに消えていきました。

鳩は聖霊様の象徴。聖霊様がいらっしゃったのかな…
甚左衛門さんの霊もいらっしゃったのかも知れません。

 

私に啓示として鳥を見せてくださるときは猛禽類(=キリストの象徴)が多く、白い鳩は初めてだったので、とても印象的でした。

 

 

自分の力や自分の選択だけで今ここにこうしているわけではなく、過去に神様の歴史の中で生きた人たちの願いや祈り、経緯など様々なものを背負って、今生きているのだろうなと感じました。御言葉では聞いていたけれど、改めて実感しました。

神様の御心(=願い・目的)のために生きていこうと一層決心する時間になりました。

 

 

 

ここから先はさくっとまとめますが、
お墓を訪ねた後、縁あって外海地区にあるキリシタン関連遺産の一つである出津教会堂(世界文化遺産)にも足を運ぶことができました。

 

 

 

教会内にはイエス様の十字架の道行を描いた14枚(たしか…)の絵が飾られていました(内部は撮影禁止だったので写真はありません)。

今回時間がなくて寄れませんでしたが、外海地区には潜伏キリシタン関連の遺産がたくさんあるので、機会があればぜひ訪れてみてください!私も行ったことないのでまた行きたいです!

 

 

そして今回は、近くにある遠藤周作文学館にも足を運びました。

私は本をあまり読まない人だったので、遠藤周作の作品にはほとんど触れてきておらず、映画「沈黙 −サイレンス−」を部分的にチラ見したくらいなんですが(すみません)。映画の方も、信仰持ってからだと描写がなかなかキツくて部分的にしか見てないです^^;

ちなみに外海地区はこの映画の舞台にもなった場所です。

 

 

   

 

ちょうど夕日がすごく綺麗なタイミングでした!
ステンドグラスから差し込む光がとても幻想的でした。

 

 

去年がちょうど遠藤周作生誕100周年だったようで、特別企画などの展示もされていました。
展示を見ながら色々と感じたこともありましたが、感想は長くなるのでまたの機会に…というか、閉館30分前に突入してしまったのであまりゆっくり見れず、また今度余裕を持って訪れたいです^^;

 

まぁ今回は長崎甚左衛門のお墓が目的だったので、また今度機会があれば、外海の他の遺跡も含め長崎にあるキリシタン関連遺産をじっくり巡ってみたいですね!

甚左衛門が宣教師に与えたお寺に建てられたトードス・オス・サントス教会跡地(春徳寺に当時の井戸が残っています)にもまだ行けてないですし、帰省のたびに少しずつ行ってみたいと思います!

 

2024年2月 MiK

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